リーガル・レバレッジ

リーガル・レバレッジ

コンサルに転身した元企業法務パーソンが、自分の市場価値を上げようと模索する日々を綴ります。

人を激詰することのリスクについて

 

「なんでミスしてんだよ。この程度ができないゴミに生きる価値ないぞ。次やったらぶん殴るぞ」と言えば、人はミスをしなくなるのでしょうか。

 

 

昨日でJR西の福知山線脱線事故から15年になるとのこと。

脱線した車両の行き先に”同志社前”が入っており、同志社を志望校にしていた自分は「生まれるのが何年か早ければ巻き込まれていたかも」と思って背筋がぞっとしたのをよく覚えています。
実際に同志社の学生さんが被害を受けたニュースも聞き、人ごとには感じられませんでした。


事故そのものも印象的でしたが、もう一つ記憶に残っていることがあります。ミスにより107人もの死者を出した運転手への安っぽい正義感です。今思うと本当に短絡的だったなぁと反省するのですが。

後に事件を調べて「日勤教育」と呼ばれる教科書通りのパワハラを集積したような制度を知り、悪いのはミスをした乗務員だけではなく「組織や制度を作っている人」だと思いを改めました。

 

日勤教育」の罪

運転士は規則の範疇を大幅に超えた運転をしており、これこそが事故発生の引き金となりました。その後の調査では事故に関係するバックグラウンド、いわゆる「なぜ」の部分が明らかになっています。

事故現場直前の伊丹駅オーバーラン。運転士が列車の遅延を回復したいがために無茶な速度で運転をし、車掌にオーバーランの虚偽報告(過少申告)を求めた交信に気を取られたためカーブ前のブレーキが間に合わなかったと。

本件運転士のブレーキ使用が遅れたことについては、虚偽報告を求める車内電話を切られたと思い本件車掌と輸送指令員との交信に特段の注意を払っていたこと、日勤教育を受けさせられることを懸念するなどして言い訳等を考えていたこと等から、注意が運転からそれたことによるものと考えられる。

事故報告書243Pより

http://www.mlit.go.jp/jtsb/railway/fukuchiyama/RA07-3-1-1.pdf

 

運転士本人が亡くなっている以上真意は永久に分からないところですが、なぜ運転士はここまでミスの挽回や隠滅に躍起になったのでしょうか。この大きな原因の1つに「日勤教育」が挙げられています。同じく事故報告書243P。

本件運転士が虚偽報告を求める車内電話をかけたこと及び注意が運転からそれたことについては、インシデント等を発生させた運転士にペナルティであると受け取られることのある日勤教育又は懲戒処分等を行い、その報告を怠り又は虚偽報告を行った運転士にはより厳しい日勤教育又は懲戒処分等を行うという同社の運転士管理方法が関与した可能性が考えられる。

 
日勤教育とは要するに目標未達の場合の激詰めのことです。実態としては

  • 乗務員休憩室や詰所、点呼場所から丸見えの当直室の真ん中に座らせ、事象と関係ない就業規則や経営理念の書き写しや作文・レポートの作成を一日中させる
  • トイレに行くのも管理者の許可が必要で、プラットホームの先端に立たせて発着する乗務員に「おつかれさまです。気をつけてください」などの声掛けを一日中させる
  • 敷地内の草むしりやトイレ清掃などを命じるなど、いわゆる「見せしめ」「晒し者」にする

といった内容が他の運転士へのインタビューで明らかになっています。しょーもない。

また、乗務が減るため乗務に関する手当てが減り、事故を起こした運転士が給料カットについて「キツイ」との愚痴を友人にこぼしたりしていたことも報告されています。

 

ミスをした時の修正が必要なのは間違いありません。とはいえ、こんなシバキ上げで運転ミスが減るわけがない。

人は自分の利益が最大化するよう動くもので、苛烈に怒られるのを避けれるためであれば隠そうとするのは自然な行動。ミスを減らすための日勤教育が、ミスを減らすどころか重大インシデントの引き金になったのはあまりにも皮肉ながら当然の話といえます。

 

不正の動機は2つ

人はなぜ不正を犯すのでしょうか。懲戒はもちろん刑事罰のリスクを負ってまで不正をするのだから、相当に強い動機があることになります。

 

法務をやっていれば人の不正を見る(見ざるを得ない)ことがあり、動機をグルーピングすると大きく2つに分けられます。
動機は自分が利益を得るために行うものですが、金銭的な利益を得るため(例えば横領)は典型ですがもう一つ、ペナルティーから逃れるためがあります。

 

売り上げ目標未達のために架空発注、いじめが発覚したら担任がつるし上げられる学校でいじめが隠蔽されるなのはまさに典型事例。今回のオーバーラン距離ごまかし依頼もそうですよね。

金銭的なペナルティだけでなく、上司からの叱責やつるし上げの回避が動機となることも多々あり。金銭を失うのと同じかそれ以上に精神的な攻撃は人の心をえぐるもので、そう感じるのは自分だけではないのだと事例を見て感心していました。

 

不正が責められるべき行為なのは間違いないにせよ、後者のように消極的な動機で不正に手を染めた人を責めるべきなのでしょうか。悪の根源はそこじゃないですよね。

 

相反する組織と個人の利益を一致させるには

一人一人が組織のために正しい行動をとる確率を高めるにはどうしたらいいのか。USJの大成功で有名な森岡毅先生は著書内でこう語っておられます。

「人間の本質は自己保存だ」と。

 

一見は他者のために見えることですら自分のための行動で、「人に親切にする」のは自分の存在価値を確認したい自己保存、「命を賭して子を守る」のは後世に自分の遺伝子を残す自己保存。ドライながら納得感のある話です。
ミスをした運転士の頭の中が「オーバーラン距離のごまかし>安全運転」となってしまうのも自然な話。

 

一方で、組織の最上位の目的は「組織存続」です。組織は組織の存続を最上位の目標に掲げているのに、組織を構成している最小単位である個人は自分の利益を第一に考えるから利益が相反するのですね。

会社としては明らかに業務改革が必要なのに、あれやこれやと理由をつけて改革を拒否する重鎮おじさんで例えるとイメージ付きやすいでしょうか。改革して企業が良くなるより楽して高い給料もらい続ける方が良いに決まってますからね。

 

組織と個人の利益ベクトルを一致させる必要があり、そのためにはインセンティブかペナルティが必要。そして、インセンティブだけでカバーしきれない部分をペナルティでカバーするのも必要。これは間違いありません。

ただ、ペナルティによる人のコントロールには慎重であるべきです。「人を詰める」施策が組織と利益の相反を埋めるどころか加速させるリスクを抱えるものであるのは、脱線事故が教えてくれたとおりです。

 

 

子供が生まれて6か月。我ながら育児も板についてきました。

嫁の体調が悪い時は大部分を代行して感謝されたりするのですが
育児初心者時代でも「どうしてこの程度ができない」「使えないなーもういい。代わって」と責められたことがなく。慣れないなりに上手く誉めてモチベーションを引き出してくれた嫁の功績は大きいと感じています。

世間が感じている以上に「詰める」は人の心をすり潰すし、「誉める」は人の背中を押すことが広まるといいのにな、と思います。